
ことがわかります。つまり、法律上の平等が実現されても、事実上の平等はまだまだ達成されていないということです。しかし、2000年を見据えたナイロビ将来戦略が本当にその目標を達成するためには、もっと劇的な行動が必要だろうと考えられたのです。 このため、1990年に女性の地位委員会が第4回北京会議を提唱し、またその会議が従来と違ったものでなくてはならないことを強調しました。すなわち、皆の共通関心の優先順位を決めて、戦略的な目的を明確にし、平等、開発、平和をうたおうというのです。 この考え方に基づいて、先ず取り組まなければならない優先順位の高い問題を絞り込むことになりました。第4回女性会議では具体的な行動を提案しなければなりませんでした。具体的な行動こそが重要であると強調されました。それが北京のテーマにも色濃く投影されています。平等、開発、平和のための行動がそのテーマでした。そのような経緯で開催された第4回女性会議はどのような成果を残したのでしょうか。 成果はたくさんあると思います。ここではハイライトだけをご紹介したいと思います。この女性会議では、改めて私たちが従来から抱えている問題が浮かび上がりました。そして会議の最終文書である行動綱領がまとまりました。メキシコ、コペンハーゲン、ナイロビで提唱された問題はまだ未解決の問題であるとされました。貧困、健康、教育、政策への参加等、まだまだ女性にとって取り組むべき問題があると改めて確認されました。 しかし、そういった点で従来の問題に新しい視点を与えたのが、北京会議でした。様々な要素から行動綱領を提唱し、民間、政府、NGOなとたくさんの人々がそこに携わるべきであるとも提唱されました。北京会議は、過去の会議の結論を改めて確認し、それを踏襲するものでした。 第4回女性会議は、過去の国連会議に基づく形で開催されました。特に最近開催された会議として、1992年リオでの国連環境・開発会議、1993年ウィーンでの人権会議、1994年カイロでの国際人口開発会議、1995年コペンハーゲンでの世界社会開発サミットにおける結論を改めて確認したわけです。そして、具体的な行動を訴えようとしました。 ある意味では、新機軸を築き、突破口を開いたような気がします。どのような新展開、新しい世界が開かれたのかについて、5つ申し上げましょう。 まず第1に、女性に対する暴力を、家庭内の単なる個人の問題ではなく、公共政策の問題として取り上げました。従来、文化、伝統の影に隠れていた暴力に光を当てたわけです。女性に対する暴力、その定義はどのように拡大されたか、第113パラグラフに書いてありますが、女性に対する暴力はすべての以下の行為を包含すると書いています。
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